期待インフレ率の測定方法について

村上龍氏が発行しているメールマガジンJMM」のQ1,146のテーマは「インフレ期待が国民の間に醸成されるためには、政府の、どのような経済政策が有効なのでしょうか。」がテーマでした。各論者が期待インフレ率の醸成方法について意見を投稿していましたが、これらの回答には「そもそもどうやって期待インフレ率を測定するのか」という点には必ずしも言及されていませんでした(ただし、JPモルガンの北野氏のみ「消費動向調査」を用いて期待インフレ率を定性的に測定していました)。そこで、定量的にインフレ率を測定するにはどうすればいいのかを今回は共有していたと思います。

清水谷先生の「期待と不確実性の経済学」では期待インフレ率の具体的な測定方法として以下の4つをあげています。以下では清水谷[2005]を参考に期待インフレ率の測定方法を概観します。


①物価連動債を用いる方法
物価連動国債とは、元金額が物価の動向に連動して増減する債権です。物価連動国債の発行後に物価が上昇すれば、その上昇率に応じて元金額が増加し、下落すれば下落率に応じて元金額が減少します。

株や不動産と異なり、通常の債権は、償還される元金の金額は固定されていることからインフレ時には実質元本が減少することになりますが、物価連動債はインフレ時には元本が上昇するため、インフレヘッジの役割を果たすこととなります。

上記の性質を利用して期待インフレ率を測定する方法が物価連動債を用いる手法となります。この手法は欧米諸国では広く用いられてきた方法ですが、日本でも2004年から10年物の物価連動債が発行されたことから、物価連動債から期待インフレ率を測定することが可能となりました。詳しくは、北村先生の論文をご参照下さい。

なお、詳細な実証分析を行わなくても物価連動債の動きをを見ることで、実質利子率を観測することも可能です。フィッシャー方程式より名目金利=実質利子率+期待インフレ率となりますが、2010年12月19日付日経ヴェリタスの「米長期金利、良い上昇か悪い上昇か」という記事では、QE2の実施後の長期金利の上昇を、物価連動債の動きを見ることで、実質金利は低位なままでの期待インフレ率の上昇によるものと結論付けています。以下、当該記事です。

FRBの狙いはインフレを加味した実質金利の低位安定であって、名目の長期金利上昇に目を奪われると本質を見誤るという。
 名目金利からインフレ率を差し引いたのが実質金利で、国債利回り3.5%、インフレ率2%なら実質金利は1.5%。長期でみて、景気や為替変動などを左右するのは実質金利とされる。
 元利払いがインフレ率に応じて増減する物価連動債の流通利回りが実質金利の代表的指標で、足元では10年物で1%強。10〜11月の0.5%前後という極端な低水準からは上がったが、名目金利に比べれば上昇は緩やかだ。投資家は物価上昇で低い利回りが穴埋めされて帳尻が合うとみており、これはつまり期待インフレ率の高まりを意味する。実質金利がさほど上がらない限り不動産や設備投資の意欲は衰えず、景気を冷やす懸念は小さいと主張する。


②期待を取り入れたフィリップス曲線を利用する方法
フィリップス曲線は失業率と物価のトレードオフの関係を示すものです。このフィリップス曲線は理論上は経済主体の期待によってシフトすることとなります。この性質を利用することで、期待インフレ率を測定する方法が二つ目の方法です。
アメリカではフィリップス曲線に基づくインフレ予測が極めて良好なのですが、日本では当てはまりはあまりよくないそうです。詳細は東大の福田先生達がかかれた論文を参照してみてください。

なお、ニューケインジアンモデルにおけるフィリップス曲線と期待インフレ率の関係については日銀レビュー「ニューケインジアンフィリップス曲線」に詳しく書かれています。


サーベイデータを用いる方法
サーベイデータとは「聞き取り調査から得られるデータ」のことです。このサーベイデータを用いてカールソン・パーキン法(以下、CP法)という計量経済学の手法を用いて期待インフレ率を測定する方法が3つ目の方法です。
この方法を理解するには計量経済学における分布の仮定や質的データを扱う手法(ロジットやプロビット等)の知識が必要となります。また、データの散らばりに対して多くの仮定が必要であることや分析がややテクニカルとなってしまうのが難点です。
加納先生が書かれた「マクロ経済分析とサーベイデータ」という本では「法人企業動向調査」を用いて修正CP法により期待インフレ率を測定していますので、詳しい分析手法を知りたい方はこちらをご参照していただければと思います(清水谷[2005]では、CP法による分析はされていません。ただ清水谷先生自体は別の論文でCP法を扱った期待インフレ率を測定しています。)


④家計・企業の直接物価期待を質問する方法
最後は最もアナログな方法ですが、直接家計や企業に来たインフレ率を質問するというものです。日本では内閣府が実施している「国民生活モニター」や「企業行動アンケート調査」があります。

清水谷[2005]では、国民生活モニターのデータを用いて回帰分析を行うことで、量的緩和が期待インフレ率にどのような影響を与えたかを実証分析しています。その結果、量的緩和については、知っているだけでは期待インフレ率は有意に変化しなかったが、量的緩和をしったことで期待インフレ率を変更した家計にとっては、テロ事件やイラク戦争と変わらないくらいの期待インフレ率の上昇をもたらした事が指摘されています。そして、その結果を受けて以下のことを指摘しています。

金融政策にとって直接的にデフレを反転させようとするなら、少しでも多くの家計に働きかけ、多くの家計がそれを知り、物価期待を修正するように、より大胆かつわかりやすい形で実施していくことが不可欠だ。


以上、期待インフレ率の測定方法4種類を概観してきました。近年デフレを脱却するための金融政策のあり方についての議論が白熱しています。期待インフレ率の誘導については東大岩本先生もブログにてその難しさを指摘していますが、どのようにして期待インフレ率をコントロールするのかに加え、そもそもどのようにして期待インフレ率を測定するのかももっと議論すべき事柄ではないでしょうか。

参考文献

期待と不確実性の経済学

期待と不確実性の経済学

マクロ経済分析とサーベイデータ (一橋大学経済研究叢書)

マクロ経済分析とサーベイデータ (一橋大学経済研究叢書)