この未曾有の不況の中、果たして経済学は有効なのか?

100年に一度の不況と言われている昨今、経済学は適切な処方箋を提示し、世界の救世主となりえるのでしょうか。それとも、所詮机上の理論である経済学は、世界襲う不況に対して無力なのでしょうか。

経済評論家やエコノミストの中には従来の経済学では、現在の不況は説明出来ないという人達も確かにいます。例えばミスター円と呼ばれた榊原英資氏はマクロ経済学の限界を指摘していますし*1、野村のエコノミストであるリチャード・クー氏は今の不況は従来の経済学では説明が出来ないとし、自ら「バランスシート不況」という考えを提唱したと著作で述べています*2

また、経済学自体が悪者扱いされることさえもあります。サブプライム問題の原因として、「金融工学が元凶だ」といわれる事が多いようにです。例えば、「金融工学が悪用されてリスクが世界中にばらまかれた」、「複雑な証券化が行われたので、リスクの所在が分からなくなった」などといった議論がそうです。

現在のような未曾有の不況を前にして、進むべき方向・対応策も見えない状況においては、世間一般から見ると経済学に対する信頼は失墜したと言っても過言ではないかもしれません。

私自身、大学・大学院で経済学を学び、3年前から金融機関で働いていますが、大学で学んできた経済学の理論と実務における金融の有り方に対してギャップを感じることは多々あります。そんな中、先日読んだ慶応大池尾先生とアルファブロガーとしても有名な池田信夫氏の共著「なぜ世界は不況に陥ったのか」日経BP社の中での、池尾先生の以下の文章に大きな衝撃を受けました。非常に重要なので、すべてそのまま引用します。

少なくとも、経済学の道具箱にはいろいろな道具があるということは知っておいて欲しい。普通、世の中の人が思いつきそうなアイデアは全部実はあるので、経済学はこういうことを見落としているとかいう話はありえない。(笑い)かなり頭のいい人が思いついたようなことでも、過去何百年の歴史の中で一度も思いつかれていない新しいアイデアなんていうのは、人類社会にほとんどない。かつて思いつかれたことのあるアイデアのうちで、それなりに意味のありそうなことは全部、経済学の道具箱の中に一応あると思っていいただいた方がいい。 だから、倉庫に行けば取ってこられる。ただし、普通議論しているときには、標準装備で議論しているから、標準装備の中には適切な分析道具が入っていないかもしれない。でも、そういうものが必要な状況に直面したら、ちゃんとオプションとして、必要な分析道具を取ってくることは出来ます。何か道具そのものがないみたいな批判の仕方は、基本的に分かっていないと思います。

この文章を読んだときには、「確かに!!!」と思い、目から鱗が落ちました。というのも、経済学の論文においては、アイデアや考え方自体はそれこそ何十年前も前からあり、それを近年になり理論体系化したり、実証するといったことが非常に多いからです。

例えば、ゲーム理論には、映画「ビューティフル・マインド」の主人公としても有名な悲劇の天才数学者ジョン=ナッシュにちなんで名づけられた「ナッシュ均衡」という概念があります。ナッシュが1951年に提出した博士論文でこのナッシュ均衡が初めて世に出ることなります。ですが、この150年以上前にすでに、フランスの経済学者クールノーが独占・寡占の研究をしており、このクールノーの分析が実はナッシュ均衡だったことが事後的にわかります(というかナッシュが証明します)。なお、映画ビューティフルマインドにおいて、ナッシュが博士論文を提出するシーンでは、ちらっとだけクールノー均衡の図が出てきています。

また、クルーグマンが「日本は『流動性の罠』に陥っている」と指摘した論文も、流動性の罠の考え自体は、1937年に書かれたヒックスの論文から引用しています。1990年以降、日本が陥ったデフレ経済も、実は1930年にすでにアービングフィッシャーが指摘していた「デットデフレーション」で説明することが出来ます。さらに、小泉内閣時代に声高によく議論されていた「創造的破壊」の考えも、今から100年前にすでにシューペンターが提唱したものでした。最近では、「公共投資」が再び注目されていますが、その際には「ケインズ主義の復活」とよく呼ばれています。

その他、小林慶一郎・加藤創太著「日本経済の罠」で、1920年代にアメリカの経済学者フランク・ナイトが指摘した「ナイトの不確実性」が引用されたことで「不確実性」と「リスク」の違いも改めて注目されるようになりました。また慶応大竹森先生は名著「1997年-世界を変えた金融危機」において、「ナイトの不確実性」の考えを用いて、1997年の金融危機サブプライム問題の橋渡しをしました。

昔の論文ばかり引用してしまいましたが、近年の経済学の発展も目覚しいものがあります。例えば、情報の非対称性であったり、行動経済学などがそうです。サブプライム問題も、情報の非対称性、逆選択、レモンの市場、プリンシパルエージェンシー問題モラルハザード、群衆行動といった枠組みを使えば、ほとんど説明することが出来ます。むしろこれらの経済学的な考え方を使わずに、サブプライム問題を解説しようとするのはほぼ不可能といえるでしょう。

アメリカの住宅バブル崩壊も、ハイマン・ミンスキーが提唱したミンスキー過程で驚くほど説明がつきます(また近いうちに書きます。ミンスキー過程を読んだときにはあまりに上手く昨今の不動産バブルを説明できているので、本当に驚きました。)

このように、世の中の人が思いつきそうなことはこれまで一通り経済学で議論されていますし、多くが理論体系化され、実証もされているのです。ですから、いくらの未曾有の不況を前にしているからといって、経済学がまったくの無力なわけがなく、むしろ経済学の考え方を使うことは極めて有効といえます(サブプラム問題の原因を説明できるように)。最後に20世紀を代表する経済学者の一人であるノーベル経済学者ジェームス・トービンの言葉を引用して締めたいと思います。

経済学者が現実問題に口を挟むのは経済学の威信失墜につながりかねないという人は、けがをさせてはならじとスタープレーヤをベンチに温存するフットボールの監督に等しい。

<参考文献>

なぜ世界は不況に陥ったのか

なぜ世界は不況に陥ったのか

日本経済の罠 (日経ビジネス人文庫)

日本経済の罠 (日経ビジネス人文庫)

1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)

1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)

*1:『間違いだらけの経済政策

*2:日本経済を襲う二つの波