モラトリアムについて考える。

最近亀井金融担当大臣が提案している返済猶予、いわゆるモラトリアムが非常に話題になっています。どのような内容になるかは明確に決まってはいませんが、先日のニュースでは以下の案があるとのことです。

元利金の支払いを猶予する約3年間、国が貸し手の地域金融機関に利子を補給するほか、借り手の企業が倒産した際には元本を補てんする。

モラトリアムについて、ここ最近ずっと考えをめぐらせていました。まず感じたことが「最適な資金配分が達成されるのか?」ということでした。モラトリアムが仮に実行されたとします。話が複雑になるので、単純化して利子だけを猶予することになったと仮定しましょう。すると、そこで行われることは、

銀行の利息収入がなくなる。
→銀行へ支払うべき利息を企業が留保できる。
→銀行の利息収入分を国が補填する。


マネーの流れで考えるならば、税金→銀行→企業となります。このようなモラトリアムによって達成される人為的な資金の配分が、市場で決定される金利のシステムよりも優れているとは到底思えません。

このことは株式市場の重要性を考えれば、より明確になってきます。株式市場の凄いところは、非常に参加者が多いマーケットの中で、「どの企業が優良か」ということに関して、株価という基準で測ることが出きる点にあります。

優良な企業にはマネーが集まり株価は上昇し、経営がいまいちな企業からはマネーが逃げて行き、株価が下落します。結果として、短期的にはともかく、長期的にはマネーは最適に近い形で企業に資金配分されることとなります。(もちろん、時としてバブルが発生する点など問題もありますが)

株式市場で達成されるような最適な資金を配分を国が達成出きるのか?といえば、まず不可能でしょう。社会主義が崩壊したことからも明らかです。

翻って今回のモラトリアムについてです。中小企業には株式市場は存在しません。代わりに中小企業のマーケットでは、金利が重要な役割を果たすこととなります。すなわち、金利が企業の優良さを測る基準となるのです。モラトリアムを実施するということは、この金利という最適な資金配分を達成するための目安となる基準を放棄することになります。

モラトリアムという考え方自体は悪いとは思いません。ですが、金利という機能を放棄してまで達成される人為的な資金配分が、本当に企業にとって、国民にとって、そして日本経済にとって有益なのかをまずはきちんと議論する必要があるのではないでしょうか。